USK放浪旅日記

スリランカ① Kandy(キャンディ)の安宿情報

インド滞在の3ヶ月はあっという間に過ぎ、ビザ期限が近づくと次のビザ取得地へと移動しなければならないのが毎回の悩みだ。

今回は初めてのスリランカに行ってみることにした。この2年で何度も行っているネパールでは、インドビザを申請しても初回以降はたいてい3ヶ月シングルのものしかもらえない。
しかしスリランカでは6ヶ月ダブルがもらえるらしい。

ネパールの適当さに辟易することも多く、あまり行きたいとも思わなくなっていたので、南インドからアクセスのいいスリランカでインドビザ6ヶ月をゲットし、ついでにスリランカを旅してみようとチェンナイからコロンボに飛んだ。



コロンボ空港からKandy(キャンディ)へ。
初めてのスリランカ。ローカルバスを降り疲れた体を休めたく茶屋に入る。
街はインドに比べるととてもきれいで緑が多い。




Kandyには湖があり、中心部を外れるととても静かで居心地が良い。
標高500m以上あり、赤道に近いスリランカでも、過ごしやすい気候で長居してしまいそう。



 インドではビーチ沿いのハットならRs.150(277円)から。Rs.300~500(554~923円)も出せば快適な宿に出会えることが多いが、スリランカではSLR.1500~2500(1275~2115円)くらいが宿の平均的な価格で、インドに比べると少し割高な感じだが価格に見合った良い宿も多かった。

初めての国でガイドブックも持っていないため、初日から2泊分だけagodaで予約していった、Renuka Inn がとても当たりな宿で、気に入ってしまい2泊目以降も、来て早々結局10泊もしてしまった。


表から見ると2階建て、裏から見ると5階建て。客室は最上階の3部屋だけ。
特に俺が滞在したバルコニー付きの一番良い部屋は、緑溢れる風景を独占できて最高だ。
SLR.1800~


3人の娘のお父さんUpaliと奥さんのRenukaの5人家族はとても優しく、夕食をごちそうしてくれたりとても仲良くなり、結局ここをベースにスリランカを巡る旅に出た。



吹き抜けが気持ちいい。客室へ上る階段。



5階建ての最上階が客室。



バルコニー無しバスルーム、AC付きの部屋。


専用バスルームだが部屋の外になるスタンダードノンACルーム。



そしてバルコニー付きバスルーム、AC付きルーム。
この時期、高原のKandyは夜など涼しいほどでACは不要だった。


眺めは最高で、どこへ出かけなくても、ぼーっとしてるだけで日が過ぎていく。
少しずつスリランカの空気にしみこんでいく。



大仏さまも遠くに見える。今もこの部屋からこのブログを書いている。
Macbook Airをお父さんに預かってもらって、スリランカあちこち適当に気の向くままに巡ってみよう。


インド ローカルバス巡り India traveling by local bus.


I stayed in Pokhara Nepal for 5 month.
ネパールでは3ヶ月のビザを2回延長して、結局5ヶ月もポカラにいてしまった。
いろんな人に出会った。かなり強烈な期間でもあった。


India and Nepal border.
もうこのゲートをくぐるのは何度目だろうか。今年の2月にはインド側から来たばかりだ。
インドに入ると、すべてがグレードアップする。喧噪も文化の深さも。そしてやはりインドはでかい。今回はなるべく一カ所に長居しないで、ちゃんと旅をしてみようかなと思う。
インドのローカルバスは公営なので車掌さんもしっかりしていて、ぼられたりもせず安心して旅が出来る。中継都市を結ぶバスの接続も良く、待ち時間はほとんどない。ツーリストバスの座席の快適さは無いが、好きなところで降りられる自由と、より民衆の生活に近いところを旅できる魅力がある。


鉄道の旅も味がある。しかしどのベッドをゲット出来るかで、長旅の快適さはだいぶ変わってくる。深夜の名もしらない駅・・・遠くに来た感慨にふける。なんていうのも今はスマホのGPSマップで、居場所が正確にわかるから、道に迷うことも無い。





Gurdwara at Manikaran India
国境からは定番のバラナシへローカルバスで行き、十日ほど滞在。そしてインド北西部へ。標高2000mのマナリからインドの秘湯マニカランへ。
写真は、頭に巻くターバンで有名なシーク教の聖地の一つで、グルドワラというお寺、宿泊施設、無料温泉、無料食事処の複合巨大施設なのだ。


グルドワラの裏口はとても小さい。洞窟へ入っていく感じだ。


中は広く、天然岩盤浴もある。


施設はすべて無料で外国人も自由に入れる。シークの人たちは太っ腹だ。
この巨石は50度くらいの熱さで、よりかかると体の芯まで熱が届く。


Hot spring in Gurdwara 
源泉は60度以上だろうか。かなり熱い湯が常にかけ流されている。村内には何カ所か無料の風呂があり、各ゲストハウスにも専用風呂を持つところが多い。


Free meels at Gurdwara
ここで食事をいただく。並んで座っているとプレートに好きなだけご飯、チャパティ、ダル、カレーをついでくれる。マニカランに滞在した一週間、2日に一度はお世話になっていた。
感謝の気持ちはDonation Boxへ。


おかわりも自由。調理も温泉の高熱を利用するそう。



Parvathy river
ヒマラヤからの雨を集めたパールバティ川の流れは豪快だ。
グルドワラには露天風呂も完備。


この日は熱すぎて入れなかった。100人以上入れそうな露天風呂も無料だ。


一泊250ルピー(約490円)のゲストハウスに泊まった。館内にも温泉があり、1700mの高地の夜も温まって過ごせた。




My room in Dharamsala India (Rs.300)
チベット亡命政府がありダライラマが住んでいる、ダラムサラに来た。そこで出会った日本人に紹介してもらった部屋がとても良く、300ルピー(約588円)と安くて気に入ったので、すこし滞在して自販機サイトの更新をしたいと思う。
雨期の長雨でネット接続も調子悪いのが続いていたが、NHKの公楽園放映に間に合うように、なんとか昨年の記録をアップすることが出来た。


毎日こんな感じで、太陽はほとんど顔を出さない。


ダラムサラの町はインド人やチベット人が入り交じりなごやかな雰囲気で、ツーリスティックすぎず、居心地は最高だ。


ネパール大地震

はじめは外を走るトラックのせいかな、と思った。しかしだんだん揺れが強くなり裏の山から地響きが聞こえてきて、外に飛び出した。
他に泊まっている客たちもおびえた様子で庭にしゃがみこんでいる。
今、長居している宿は、ネパールの第二の都市ポカラの観光地、レイクサイドから歩いて30分ほど離れた静かなところにあり、ロシア人やウクライナ人、イタリア人、イギリス人などが長期滞在している。
みんなに聞いたところ、人生で初の地震だという。宿の主の53歳になるゴビンダも、初めてだという。
ただ、ここでは揺れるには揺れたが、日本の感覚で言うと震度4くらいで、自分には大したことない感じだった。さすが日本人だなとみんなに言われた。そして幸いに被害もまったく無かった。

その後カトマンズがひどいことが伝わってきた。
文化遺産である古い寺院などが損壊し、狭いところに耐震性など考慮されていない、レンガやブロックを積み上げただけの家が多い市内で、犠牲者が膨大な数になってしまった。


震源地はポカラとカトマンドゥの中間くらいにあるゴルカというところで、4mも地層がずれたそうだ。
実は地震前の一ヶ月ほど、ずっと調子が悪く、風邪を二回も引き、鬱気味だった。耳に圧迫感があり、人の声が耳に響いてわんわんと聞こえたり、何か異様だった。ユクライナの友達とステージで音楽を演奏してもイマイチ集中できなかったり、自分どうしちゃったんだろう?ってほどだった。
地震の前日にカトマンズからデリーへ飛ぶユクライナの友達に、一緒にカトマンズへ行こうと誘われたり、まだ行ったことの無いゴルカや、ババジーたちの待つドゥリケルにも行って見たかったけど、不調で行けなかった。居心地の良い宿にダラダラとただ長居しているのが嫌で、行動を考えるんだけどどうしても動けない、そんなかんじだった。

そしてインドのゴカルナで出会い、ポカラで再会し長く一緒に遊んだ二組のユクライナの家族たちが、ポカラを去る日が来て、ああ流れだな~などと新しい風を感じ始めていた。
そしてその二組の家族達が別々の日にカトマンズを飛び立ったその後、大地震が起こった。

そして何故かはわからないが、地震のあと耳が治り、体の重さも軽くなり、気分もいろいろな意味で全然違う。自分の中から何かスコっと抜け落ちたような感覚。
一見平和に見えるポカラも、空気感は違う。

陸のプレートとプレートがぶつかってヒマラヤが8000mも隆起した場所である。
ものすごいエネルギーがあるに決まってる。



日本を出て2年、ネパール、インドを旅してきて、日本の現実とは違うタイムラインのなかで、
現実とはなんなのか、かつて自分が考えていたようなものではないんだろうなということを、いつも感じている。



宿から見える風景は平和そのもの


のどかに泥浴びを満喫する水牛ちゃん


地震後のレイクサイドは人通りが少ないが、被害はなさそうだ。


チョウタラの新緑が美しいレイクサイド。


現地の新聞カンティプール。200年前に建てられた展望タワーが崩壊。
土曜日で中に人もたくさんいた。


ボダナートはネパールの観光のシンボル。無残な姿になってしまった。昨年7月に訪れている。


パタンなどの貴重な遺産も壊れてしまった。昨年7月に訪れている。


ダルバール広場


ポカラの夕陽


最近よく通っているレストランからの眺め


日本のアニメのファンで3Dデザイナーのイタリア人、マルコとダルバート。アジア初旅という彼とは妙に意気投合して仲良くなった。


いままであちこちでダルバートを食べてきたが、ここのはベスト3に入る。ご飯はローカル米でくさみがないし、カレーもスパイスの使い方と味付けが上手。カレー、ご飯ともおわかり自由で、フルパワー。それでRs.170 (約200円)最高の夕暮れの湖を見ながら手で食べるダルバートは完璧だった。


ポカラまで

ようやくあったかくなってきた。ポカラに着いてあっという間にもう1ヶ月。結構忙しかったり、風邪引いたりで日記も久しぶりだ。
南インドのゴカルナに、今回はビザ期限により2ヶ月しか滞在できなかった。
もっといたかった。しかも北はまだ寒そうだ・・・。
しかし流れは素晴らしく、仲間たちに暖かく見送られ、バラナシを経てネパールへ。
数々の奇跡的な再会に恵まれ、この世とは本当に何なんだ?と謎は深まるばかり。



常夏の楽園をもうすぐ離れる。2ヶ月の滞在中、雨はほぼまったく降らなかった。
この後に続く様々な出会いに感謝しつつ、夜行列車に乗ってバラナシを経てネパールへ。
丸二日以上の寝台列車の旅。インドのでかい大地に夕陽が沈む。
列車が5時間以上も遅れ、バラナシ駅に着いたのが夜中の1時。町へ出るのはあきらめて、駅のリタイアリングルームで寝る。1ベッドRs.150 約290円。靴は持っていないので寒いときは靴下をはいてビーサンで歩いている。
ビザの期限が迫っているため折角のバラナシも二日しか滞在出来ない。しかし奇跡的な再会が五人もあって、凄い日々だった。有名な久美子ハウスに縁があってはじめて泊まり、そこでも音楽好きな旅人たちとセッションを楽しんだ。そしてバラナシを発つ日はインド最大の祭りシバラトリの日で、街はスーパーハイ。
インドありがとう!!
街灯に透ける蚊柱が幻想的だった。
夜のバラナシ駅。昭和っぽい味があり雰囲気が好きだ。
ローカル線でネパール国境の近くまで行く。寝台の長さが短く、足を曲げないと横になれなかった。
ただ、雰囲気は昔の日本みたいな懐かしいマテリアル感で味がある。
一晩かかってゴーラクプル駅に着いた。北インドなので朝は少し寒い。ここからはローカルバスで国境へRs.90。
子供の頃見た銀河鉄道999みたいだな。いろんな所にいろんな人が住んでいる。
インドありがとうございました。3ヶ月後また来ます。国境を越えるだけでがらりと雰囲気が変わる。
何度もここを通過しているうちにわかってきた。
ポカラに着いた当初はまだ寒く、さっそく風邪を引いてしまった。しかしようやく自著の実物を手に取ることが出来て感動した。3月はじめにはホーリー祭で街はカラフルに染まった。そしてホーリーがネパールに春、というか初夏を運んでくる。
日中は25度以上の夏日で過ごしやすいが夜は毛布をかぶって眠る。ネパールには暖房器具というのは普及していないから、冬はきつい。昨年から5回も風邪を引いた。寒いシーズンには二度と来たくない。ビザの都合でしかたなく来てしまったがもっと長期的にビザのことなど頭に入れておかないと、服など持ちたくない荷物が増えてしまうことになる。
ゴカルナで一緒だったブラドとも再会。ウクライナの戦争を避けて美しい妻と小さい娘と共に放浪している。俺がデザインを担当している日本レストランで、ブラドの手がけるオーガニックチョコレートを販売することになった。
ゴカルナでJazzを教えたジョリーとも再会。ポカラのレイクサイドの喧噪を嫌って3kmくらい離れた村に住んでいる。
ミトラ(b)、ジョリー(g)と村の宿で。俺も街から引越そうと思う。
ゴカルナからポカラに来た仲間は9人にもなった。みんなそれぞれの才能でチョコ作ったりヘンプの服つくったりと旅が生活の人といるとおもしろい。俺も自販機サイトを更新 笑
今いる部屋から今日の夕暮れのポカラ。無計画にビルが建てられ、静かな湖畔のシャンティプレイスだったのが、チャイナタウンみたいになってしまった。