2015年4月29日水曜日

ネパール大地震

はじめは外を走るトラックのせいかな、と思った。しかしだんだん揺れが強くなり裏の山から地響きが聞こえてきて、外に飛び出した。
他に泊まっている客たちもおびえた様子で庭にしゃがみこんでいる。
今、長居している宿は、ネパールの第二の都市ポカラの観光地、レイクサイドから歩いて30分ほど離れた静かなところにあり、ロシア人やウクライナ人、イタリア人、イギリス人などが長期滞在している。
みんなに聞いたところ、人生で初の地震だという。宿の主の53歳になるゴビンダも、初めてだという。
ただ、ここでは揺れるには揺れたが、日本の感覚で言うと震度4くらいで、自分には大したことない感じだった。さすが日本人だなとみんなに言われた。そして幸いに被害もまったく無かった。

その後カトマンズがひどいことが伝わってきた。
文化遺産である古い寺院などが損壊し、狭いところに耐震性など考慮されていない、レンガやブロックを積み上げただけの家が多い市内で、犠牲者が膨大な数になってしまった。


震源地はポカラとカトマンドゥの中間くらいにあるゴルカというところで、4mも地層がずれたそうだ。
実は地震前の一ヶ月ほど、ずっと調子が悪く、風邪を二回も引き、鬱気味だった。耳に圧迫感があり、人の声が耳に響いてわんわんと聞こえたり、何か異様だった。ユクライナの友達とステージで音楽を演奏してもイマイチ集中できなかったり、自分どうしちゃったんだろう?ってほどだった。
地震の前日にカトマンズからデリーへ飛ぶユクライナの友達に、一緒にカトマンズへ行こうと誘われたり、まだ行ったことの無いゴルカや、ババジーたちの待つドゥリケルにも行って見たかったけど、不調で行けなかった。居心地の良い宿にダラダラとただ長居しているのが嫌で、行動を考えるんだけどどうしても動けない、そんなかんじだった。

そしてインドのゴカルナで出会い、ポカラで再会し長く一緒に遊んだ二組のユクライナの家族たちが、ポカラを去る日が来て、ああ流れだな~などと新しい風を感じ始めていた。
そしてその二組の家族達が別々の日にカトマンズを飛び立ったその後、大地震が起こった。

そして何故かはわからないが、地震のあと耳が治り、体の重さも軽くなり、気分もいろいろな意味で全然違う。自分の中から何かスコっと抜け落ちたような感覚。
一見平和に見えるポカラも、空気感は違う。

陸のプレートとプレートがぶつかってヒマラヤが8000mも隆起した場所である。
ものすごいエネルギーがあるに決まってる。



日本を出て2年、ネパール、インドを旅してきて、日本の現実とは違うタイムラインのなかで、
現実とはなんなのか、かつて自分が考えていたようなものではないんだろうなということを、いつも感じている。



宿から見える風景は平和そのもの


のどかに泥浴びを満喫する水牛ちゃん


地震後のレイクサイドは人通りが少ないが、被害はなさそうだ。


チョウタラの新緑が美しいレイクサイド。


現地の新聞カンティプール。200年前に建てられた展望タワーが崩壊。
土曜日で中に人もたくさんいた。


ボダナートはネパールの観光のシンボル。無残な姿になってしまった。昨年7月に訪れている


パタンなどの貴重な遺産も壊れてしまった。昨年7月に訪れている。


ダルバール広場


ポカラの夕陽


最近よく通っているレストランからの眺め


日本のアニメのファンで3Dデザイナーのイタリア人、マルコとダルバート。アジア初旅という彼とは妙に意気投合して仲良くなった。


いままであちこちでダルバートを食べてきたが、ここのはベスト3に入る。ご飯はローカル米でくさみがないし、カレーもスパイスの使い方と味付けが上手。カレー、ご飯ともおわかり自由で、フルパワー。それでRs.170 (約200円)最高の夕暮れの湖を見ながら手で食べるダルバートは完璧だった。